昔の死体供給事情。解剖用に昔は死体を盗んでいた。バーク&ヘア事件

Enterrement militaire, 1902

医療の発展のために「献体」という制度がある。

 

これは死後、自分の死体を医学の発展のために解剖を自ら申し出るというものだ。

 

以前は、解剖されるのに抵抗があり希望者がいなかったのに、東日本大震災以降、死ぬことに関心を持つ人たちが増え、献体を選択する人も多くなったそうだ。また、火葬から遺骨の埋葬まで行なってもらえるということで、独居老人など身寄りが無い人は、献体を選ぶ人たちが増えてきているという。

Enterrement militaire, 1902 / bibliothequedetoulouse

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昔は、死体が不足し墓を掘り起こすだけでは足りず、手っ取り早く死体を作った殺人事件があった。

 

19世紀の英国の医学校の試験では口答試験で、外科医になるための講座でさえ実地試験は一切無かった。
またほとんどの講座が学生たちに解剖を見学をさせ、あらかじめ用意してあった解剖標本と照らし合わせ、外科医術を教授していた。

 

これからわかるように、死体不足は深刻だった。

正しい死体の調達方法。

とある医学校では学生一人につき一体の解剖練習用の遺体が与えられることになっており、そのために多くの遺体が必要だった。また。解剖はおおむね冬に行なわれた。気温が高いと腐敗が進む。

 

当時死刑が課せられる犯罪は200種類以上あり、1752年に改正された「殺人法」によって、処刑された殺人犯の遺体は医師が解剖用に請求することが認められると、絞首台に医者が群がるようになった。

元々、この「殺人法」に新たに付け加えられたこの条項は医学の進歩では無く、犯罪者たちの刑罰の一つである。解剖されるということは死よりも恐ろしいく恥辱を与えることを目的だった。

ずるをした死体の調達方法

十分な数の死体を集める合法的な方法として、葬儀業者を買収するというものがあった。金を受け取った葬儀業者は棺に石を詰め、遺体を解剖医に引き渡した。

 

当時は豚やガチョウを盗めば死刑であり、墓の盗掘は犯罪行為ではなかった。法律上は死体は誰の所有物ではなかったからだ。よって、墓泥棒たちは用心のために死体を覆う布や衣服は元に戻した。なぜなら、それは所有物とみなされたからだ。

 

死体そのものに価値が出てきて、盗まれることが多くなると、遺族が墓の前を見張ることが多くなった。そうなると死体の鮮度が落ちてしまう。言わずもがな、死体は新鮮なほうが価値があり、高値で取引された。
バークとヘアという墓泥棒は、だんだんと商売がやりづらくなってくると、あることを閃いた。

 

死体調達プロセスを端折り、自分で死体作ればいいじゃん。といって13人を殺害し、その遺体をエジンバラの外科医ロバート・ノックスに売ったのである。

 

結局バークとヘアの事件はばれ、バークは絞首刑台に消えた。ヘアはバークを売り司法取引を行なうことで、絞首台を免れた。

ヘアはどこまでも小ずるい男だった。

参考元:
殺人博物館 バーク&ヘア
NEWS ポストセブン
世にも奇妙な人体実験の歴史(トレヴァー・ノートン著/文藝春秋)

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