再び梅毒が流行中のようです。

日本における梅毒の感染報告数が増加傾向だと言う。

Image from page 169 of
Image from page 169 of “Woman : her sex and love life” (1917) / Internet Archive Book Images


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廃れてしまった性感染症と言う印象の梅毒だが、最近では増加傾向にある。2013年には前年比1.4倍となる1.200例越えの報告を認め、2014年10月1日時点の報告数は1.275例。昨年の2013年を越える結果となった。

 

 
 

男女関係無く、梅毒に感染した人は増えています。

男女別でみると、梅毒の感染は男性が約8割を占めているが、昨年よりも1.3倍に増えているのに対し、女性の梅毒感染者は1.5倍。女性の梅毒感染者の増加は、米国では女性の梅毒の感染者が増加していないところを見ると、対照的な特徴である。

 

 
 
 

また、男性のうち45%が男性間の性接触があり、去年よりも増加が鈍るものの増加が認められた。

 

 
 
 

人類は梅毒に苦しんできました。

梅毒といえば性感染症ということは知っていても、どんな病気が知らない人も多いだろう。
梅毒はトレポネーマという病原菌が皮膚や粘膜の小さい傷から体内に侵入して感染する病気で、感染経路として主にセックスやオーラルセックス。もちろん母子感染や輸血血液というのもある。

 

 
 
 

歴史として始めて梅毒が現れたのは15世紀上のことで、突発的に現れた。

日本には1512年1に記録上初めて梅毒が登場している。火縄銃の伝来が1543年の種子島とだとすると、火縄銃よりも梅毒が早く日本に来たことになる。梅毒は100年ほどで極東日本にやってきたわけで、それは梅毒が世界を一通り征服したことになる。

 

 
 
 

梅毒は15世紀ヨーロッパでは猛威を振るい、「フランス病」、あるいはロシア人には「ポーランド病」と呼ばれており、当時の医者達はこの伝染病を悪人の正当な罰だと考えていた。

 

 
 

梅毒は怖い病気です。

Image from page 683 of
Image from page 683 of “An American text-book of genito-urinary diseases, syphilis and diseases of the skin” (1898) / Internet Archive Book Images

今日では梅毒は廃れた古臭い性感染症の一つだという認識の人も多いと思うが、人類は15世紀から梅毒に苦しめられていたにも関わらず、安全な治療が受けられるようになったのは抗生物質のペニシリンが発見されてからのことである。

 

 
 

因みにペニシリンの発見は1928年で、民間にペニシリンが開放されたのは1945年。第二次世界大戦後のことだ。歴史を振り返ってみると、先人達にとっては梅毒は安全な治療法も無い分、現代人が未知のウィルスや病原菌を恐れるよりも、恐ろしかったに違いない。

 

 
 

梅毒の症状として、第1期から第4期に分けられており、先進国では第3期、第4期に進行することはほとんど無いといわれている。死亡するのは稀。

 

 
 

第1期に病原菌のトレポネーマが侵入した部位に塊(硬性下疳と呼ばれる)、梅毒特有のしこりが出来るが、それはすぐ消えてしまい、またの付け根のリンパ節が腫れる。

 

 

第2期になると全身のリンパ節が腫れ、そのほかにも発熱や倦怠感、関節炎などの症状が出る。この時期に梅毒特有のバラ疹と呼ばれる全身性発疹が現れ始めることがある。現代人でここまで梅毒を放置する人はいない。梅毒治療を開始し、今では完治するだろう。それでは、治療法が不確かだった中世では、梅毒患者の末路は一体どんなものだったのだろう。

 

 
 

梅毒の第3期と第4期

意外と知らない梅毒の第3期と第4期を簡単に説明したい。

 

 

梅毒に感染後3年から10年後を第3期、感染後10年後以降の状態を第4期にあり、症状が治まったように見えたり、再発したりを繰り返す。その間、皮膚、筋肉、骨にゴムのような腫瘍が発生し、そして、鼻が欠け始め、神経を侵され失明し、痴呆症状が表れる。これは末期症状で、病原菌が脊髄から脳まで侵されている状態。脳梅とも言われる。

 

 
 

ここまで進むと臓器に壊死が見られる。要するに梅毒の末期は、視覚や聴覚、精神にも異常が表れ、体が腐り落ちて死ぬのだ。

 

 
 

ペニシリンが無かったときの梅毒の治療方法は水銀

16世紀の梅毒の治療方法として、ヨーロッパでは蒸気の吸入や軟膏の塗抹が行われた。ただし、それは水銀を利用していた。

 

 

 

他の治療方法として、イタリアの医師ガスパル・トレッラは皮をはいだばかりの鳩を患部に当て、焼きごてやナイフ、錐を使う医者もいたらしいが、梅毒治療として水銀の軟膏と熱を使うのが効果的な方法とされていた。

 

 
 

水銀治療の効果は結論を言えば、水銀そのものが梅毒患者の命を縮めた。
日本では水銀治療はおこなわれており、杉田玄白やシーボルトが記載している。水銀中毒になった場合は、梅毒患者にドブクリョウを煎じて飲ませ、解毒を試みたらしい。

 

 
 

死に至る病梅毒で人体実験

アラバマ州タスギーギで悪名名高い梅毒実験が行なわれた。梅毒実験の目的は黒人の梅毒が白人のそれと同じように進行するのかを調べるためだった。無料で治療を受けられると言う宣伝のもと集められた人々600人を被験者にし、貧しい黒人小作農に梅毒を注射させ、40年間観察し続けた。

 

 

梅毒感染の事実は彼らに告知されず、ただ、体の中に悪い血があると言われ、何も治療は施されなかった。

 

 
 

この研究はアメリカ公衆衛生局から資金援助を受けており、医学会やアラバマ州の政治かも関与していた。1972年にジャーナリストによって、おぞましい梅毒人体実験が暴露され、1997年にようやく時の大統領クリントン大統領が謝罪をした。

 

 
 

参考元
Hazard lab
NIID  国立感染症研究所
梅毒-wikipedia-
世にも奇妙な人体実験の歴史(トレヴァーン・ノートン著/文藝春秋)
【最悪】の医療の歴史(サイネン・ベロフスキー著/原書房)

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