嫌われセレブのキム・カーダシアン。有名になったのは父親がO・Jシンプソン事件の弁護士の一人だったから。

日本ではあまり馴染みのないキム・カーダシアン。
彼女は米国では知らないほど人はいないぐらい有名で、嫌われていると言う。今年の最も嫌われているセレブワースト20でぶっちぎり1位を獲得。

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しかし、最近はインスタグラムにフィレンツェで行なわれた、キムと夫のカニエ・ウェストの結婚式の写真をアップし、史上最多数の「いいね!」を獲得したり、12月13日にはかかりつけの医師を訪れ、二人目を妊娠したのではないかと注目されている。

KIM KARDASHIAN
KIM KARDASHIAN / Kalumba2009

嫌われ者なのに行動を注目されるキム・カーダシアン。
嫌われようが関係ない。関心がなくなってしまうのが一番海外セレブにとって、恐れていることだろう

 

注目を浴びる理由を知っている人は日本では少ないと思うが、個人的には父親がO・Jシンプソン事件の弁護士の一人で、彼は裁判のとき常にO・Jシンプソンの隣に座っていたから。と思っている。

 

節操なしの肩書きを持っているのは海外セレブの特権だと思う。
キム・カータシアンもソーシャライト、テレビジョンパーソナリティ、モデル、女優という様々な肩書きを持つ。

 

海外セレブが肩書きに具体性を持たせないのは、幅広く活動することによって名前を売ることが出来るからだろう。

 

ソーシャライトとは社交界の名士という意味で、貴族制度と言った階級制度が存在したことのない米国では成金や資産家、ただの有名人を表すことが多い。キム・カーダシアンも名士というよりも成金と言ったほうがいい。

 

さて、彼女が成金として海外セレブと呼ばれるようになったのは父親の影響が大きい。

 

O・Jシンプソン事件

O. J. Simpson
O. J. Simpson / Alan Light

O・Jシンプソン事件の結果は無罪

元プロフットボール選手であり、俳優として有名なO・Jシンプソンが殺人事件で逮捕され裁判になった事件である。

 

この事件は不可解な事件で刑事裁判では無罪判決となり、民事裁判では有罪判決が下っている。

 

この事件は日本でも有名になった。改めて詳細・概要を説明するのは面倒くさいので、気になる方はネット等で詳細を調べてほしい。

 

O・Jシンプソン事件の「ドリームチーム」の弁護団

O・Jシンプソンの刑事裁判のときの弁護団は「ドリームチーム」と呼ばれた。
なぜなら経験豊富で有名な弁護士達だったからである。なお、弁護士費用は当時の日本円にして5億円といわれている。

 

このドリームチームの弁護士達の中にはF・リー・ベイリーはボストン絞殺魔のアルバート・デザルボや市民ケーンで有名な新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘、パトリシア・ハースト事件を担当した。カメラの前ではよくしゃべったと言う

 

マイケル・ジャクソンのロリコン裁判で有名になったジョニー・コクラン。

 

O・Jシンプソン事件のドリームチームのまとめ役であるリーダーは、マーロン・ブランドの息子が起こした殺人事件で彼を弁護したことのある、ロバート・シャピーロ。彼はマーロンの息子の事件だけではなく、米国の俳優の事件を多く担当している。

 

ハリウッドの裏側を知り尽くした弁護士達である。もちろんテレビ映りもいい。
要するに、大衆の心をつかむ方法を熟知しているのだ。

 

キムのお父さんはO・Jシンプソン事件「ドリームチーム」の一人

キム・カーダシアンがまだパリス・ヒルトンの取り巻きをしていた頃(要するに無名時代)、ケツのでかい女の子が一人いる。と思っていたことは覚えている。後に、O・Jシンプソン事件の弁護団の一人と知り、パリス・ヒルトンの取り巻きから、ロバート・カーダシアンの娘と言う印象に変わった。

 

キム・カーダシアンの父親、ロバート・カーダシアンは元々事業家で、O・Jシンプソン事件で裁判になったとき、弁護士団にボランティアで参加していた。ロバート・カーダシアンは3年前に弁護士資格を返上していおり、他の弁護士のように輝かしいキャリアがあるわけでも無かった。

 

しかし、ロバート・カーダシアンはO・Jシンプソンと友達で、裁判では常にシンプソンの隣に座った。
これは他の優秀な弁護士達の施策か、ロバート本人の考えかはわからないが、無名のものが有名になるには十分すぎるほどの効果はあった。

 

O・Jシンプソン事件で最も有名になった人

O・Jシンプソン事件で有名になったのは別にキム・カーダシアンだけではない。

 

最も有名になったと言われているのが、シンプソン家で犬の散歩をしていたハウスボーイ、ケイトー・ケイリン。O・Jシンプソンのアリバイを崩す重要証言をして有名になった。

 

弁護士からの質問にもユーモアたっぷりで答え人気物になった。当時は無名の俳優だったが、一時はハリウッドでは知らぬ人間はいないと言われていたほど。
彼が最もO・Jシンプソン事件で儲けた人間と言われているが、「ケイトー・ケイリン」と日本語で検索してもヒットしないところを見ると、キム・カーダシアン並に名前を売ることは出来なかったのかもしれない。

 

O・Jシンプソン事件裁判に携わった人々のその後

この事件は被害者が白人で、加害容疑者が黒人と言うこともあり、人種差別問題が大きく取り上げられた。
人種偏見によって裁判を行なわれてはならないということで、日系アメリカ人のランス・イトウが選出された。うすっら覚えていることだけれど、泣かなかったか、この人。

 

刑事裁判と民事裁判が終了し、一つのけりがついたが、終わらないのはこのO・Jシンプソン事件裁判に携わった人たちで、当たり前のように本を出版した。それも一同に

 

一同と言うと、検事、弁護士、陪審、被告、ジャーナリストのことで、今度は誰の本が一番売れるかと話題になった。結局、本は売れなかった。本は売れなかったが、名前を売った人間はこの裁判でそれなりにいたようである。

 

参考元 
wikipedia-O・J・シンプソン事件-
wikipedia-キム・カーダシアン-
殺人マニア宣言(柳下毅一郎/ちくま文庫)

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