「地図にない村」はなぜ存在するのか?・その2

「地図にない村」や「地図から消えた村」等は、しばしば都市伝説となって存在し続ける。しかし、地図にない村は都市伝説となる前は一体どんな村だったのだろうか?

 

今回は地図にない村について考察、第2弾。
[2007] Defeated by the rust
[2007] Defeated by the rust / Diego3336

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村が地図から消える・2

地図にない村は存在する・2

犬鳴村という村が福岡県鞍手郡の最西端に1889年まで存在していた。村が消えた理由は、近隣の村と合併し、吉川村を発足したから。よって犬鳴村は消滅してしまった。

 

同名の村の都市伝説が存在する。犬鳴村伝説というもので、「犬鳴トンネルの近くに法治が及ばない恐ろしい集落【犬鳴村】があり、そこにたち入ったものは生きては帰れない」といったもので、興味があるのなら、犬鳴村伝説を調べてみてほしい。

 

個人的にこの都市伝説で気になる点があるのだ。犬鳴トンネルのある、犬鳴峠付近では殺人事件や死体遺棄事件といったことが頻繁におこっている。

 

犬鳴トンネルには新しいものと古いものがある。旧犬鳴トンネルは太平洋戦争の軍事目的から着工したが、戦局に不測の事態が発生したため、終戦後の1949年に大幅に遅れて完成した。翌年には開通し、当時国鉄バスの運行経路として使われていた。

 

しかし、もともと人の往来は少ないうえに気味の悪い場所だったため、トンネル開通当時でも車の通行が極めて少ないといわれていた。また、犬鳴峠の古称は原越えと言われていた。江戸時代から昭和の初期頃まで地元の人たちも使わない峠道だったらしい。ここは悪路だったため、あまり利用しなかったようだ。

 

峠道は「危険」と判断されたら、バイパス道路を建設をする場合がある。そうなると、峠道にあったお店や宿泊施設といったものが取り残される分けだが、利用客がいないとなると移転してしまい、廃墟だけが残る。そうなると、地名もなくなってしまい、よせ集まった廃墟が集落に見えてしまい、「地図から消えた村」が出来上がる。

 

このような集落というか、人がかつて使っていた場所というところは事件が起こりやすい場所になる。旧犬鳴トンネルの一部は犬鳴ダムの建設により沈み、不法投棄や暴走族のたまり場となった。よって、旧道と旧トンネルは供に閉鎖されてしまった。

 

また、犬鳴岬はよく事件が発生する。1979年に犬鳴ダムの向こう側にある力丸ダムではOLの強姦殺人。1988年には青年が少年グループに暴行の末、旧犬鳴トンネルで焼き殺す事件があった。他にも死体遺棄事件があったり、峠は交通として難所になるため、冬場は路面凍結、積雪も多いため交通事故が多く発生している。

 

犬鳴峠のような消え方をした「消えた村」はのちのち、暴走族やヤンキーや犯罪者といった人間達に利用されることも多く、当然事件も起きる。そして忌まわしい場所といわれるようになってしまう気がする。

 

参考元
wikipedia 犬鳴峠 
トカナ 「地図にない村」が存在する3つの理由! 自殺、杉沢村、怪談…!!

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