再婚おめでとう。カルト集団マンソン・ファミリーのチャールズ・マンソン、26歳の女性と獄中結婚

Charles Manson

シャロン・テート殺人事件等の7件の殺人を首謀したということで、有罪判決を受けたチャールズ・マンソン受刑者はかねてから婚約していた女性と結婚した。

結婚相手の女性はイリノイ州出身のアフトン・バートンさん26歳。2人はすでに結婚許可証を取得し、週の規定により、90日以内の面会日に式を挙げる見通しだという。



Charles Manson / Mitchypop

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連続殺人者にありがちな話だが、チャールズも気の毒な境遇で生まれ育った。

 

まず、生まれた日がわからない。なぜなら、母親が正確な日を覚えていないからだ。そんな母親はキャスリーン・マドックスという16歳の家出少女だった。父親はわからない。彼女は売春婦だったからだ。

 

チャールズは母親が名前を付けてくれなかったので名前が無く、数ヶ月後チャールズという名前をもらい、母親がわずかな間結婚していたので「マンソン」という姓がついたのだ。

そこから社会のはみ出し者としてチャールズ・マンソンは生きていくことになる。

ケチな犯罪者

当たり前のことだが、チャールズ・マンソンもケチな犯罪を呼吸をするように行なった。

 

母親のキャスリーンの祖母にチャールズ・マンソンは預けられた。なぜならキャスリーンが兄のルーサーとガソリンスタンドに強盗に入り5年服役を食らったためだ。一年後、キャスリーンはチャールズ・マンソンの元に帰り、放浪生活が始まった。2人は犯罪と紙一重のその日暮らしをしていたが、キャスリーンはある男と知り合い、結婚。その男はチャールズ・マンソンが邪魔だと思い引き取らず、孤児院に行くことになる。

 

チャールズ・マンソンが殺人に走る前はただのこそ泥、ケチな犯罪者にしか過ぎず、孤児院を抜け出し、車や食料を盗む。そして教護院行きを繰り返した。21歳のとき結婚し、息子を授かるが、結婚が長く続くわけも無くポン引きになり、自動車泥棒や小切手偽造などなどで何度も服役し、1967年の春に釈放されたときは人生の半分は刑務所暮らしとなっていた。

 

再びシャバの世界を見るとがらりと変わっていた。時代はフラワーチャイルド、ドラックカルチャー、ヒッピーの真っ只中。とりわけ北米の西海岸を覆い尽くしていた。マリファナは害の少ないドラッグと考えられており、当時の主流はなんといってもLSD。

「ファミリー」の形成

チャールズ・マンソンが出所すると、チャールズ・マンソンのアウトローな雰囲気が、多数の女を手なずける手助けとなり、「ファミリー」を形成して集団生活を始めた。雰囲気だけではなく、チャールズ・マンソンはアウトローそのものだった。時代が望んでいるヒッピー象だったのである。

 

ファミリーのメンバーはほとんどが中産階級出身のはみ出し者で、前科者はシャロン・テート殺人事件の実行犯スーザン・アトキンスぐらいだった。

ファミリーのメンバーたちは既存の体制に逆らい、アウトローそのもののチャールズ・マンソンにあこがれたのだ。これは後々カルト集団「マンソンファミリー」といわれるようになる

 

もちろん、それだけではメンバーを洗脳するのは不可能だったため、当時はやっていたLSDとギターでメンバー達を引きつけた。

「へルター・スケルター」はハルマゲドンの予言

チャールズ・マンソン率いるマンソンフ・ファミリーに子どもが生まれ大所帯になっていき、LA郊外のスパーン牧場に住むようになった。しばらくの間はうまくいっていたが、行き詰まりを見せ始めた。チャールズ・マンソンがビートルズ末期にリリースされた「ホワイト・アルバム」の中に自分だけにメッセージを残したと信じ始め、「へルター・スケルター」をハルマゲドンの予言と信じたのだ。

 

また、「ブラック・バード」は黒人に反乱を促すメッセージがあるらしい。

 

チャールズ・マンソンの信じたハルマゲドンとはまもなくブラック・パンサーのような黒人急進過激派が白人相手に蜂起を起こし、それが切っ掛けとなって核戦争が起こり、結果、黒人が勝利するも彼らには世界が統治する能力がないから、マンソン・ファミリーが代わって統治するという。

 

あぁ、書いていてバカバカしくなってきた。

 

都合のよいことが起こるわけ無いので、チャールズ・マンソンとファミリー達は黒人による犯行を偽装するように思いつき実行に移った。

シャロン・テート殺人事件を含む合計7件の殺害を首謀、そして逮捕

チャールズ・マンソンはマンソン・ファミリーを教唆し無差別殺人を起こさせ、合計7人を殺害した。新進の女優として注目されていたシャロン・テート殺人事件は有名。
その後のロマン・ポランスキーの凶行もあまりにも有名。

 

チャールズ・マンソンは他の20人のマンソン・ファミリーと一緒に逮捕された。容疑は殺人ではなく自動車泥棒で、警察は一連の殺人事件をマンソン・ファミリーと関連しておらず、結局スーザン・アトキンスの自慢話から発覚し芋づる式にファミリーのメンバーは逮捕された。

リンダ・カサビアン以外は終身刑

世界を驚かせたシャロン・テート殺人事件の主犯格とされたスーザン・アトキンスは死刑判決を受けたが、死刑が廃止されたため終身刑に減刑。ここで書く必要も無いがチャールズ・マンソンも同様に死刑から終身刑になり、80歳まで生き獄中結婚をした。

 

リンダ・カサビアンは運転手兼見張り役だった彼女は検察側の重要な証人として法廷に立った。

 

カルト集団チャールズ・マンソンファミリーの影響力は大きく、ミュージシャンのバンド名になったり、チャールズ・マンソンの制作した楽曲は、様々なアーティストがカバーしている。

 

参考元
週間マーダー・ケースブック 1 (ディアゴズティーニ)
CNN.co.jp
殺人博物館

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