輸血にたどり着くまでの道のりは長かった。意外と知らない血液型の真実。

体内をひたすら流れている血液。

 

 

生きていく上で必要不可欠であり主要な体液でもある。役割としては全身の細胞に酸素や栄養分を運び、老廃物を運び出したり、また健康を測るための重要な役割も担っている。
体の中でひたすら流れている血液に血液型というものが存在していることは当たり前だが、意外と知らないことも多い。

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Credit: Wellcome Images, LondonCredit: Wellcome Images, London / wellcome images

血液の中には血球と呼ばれる赤血球・白血球・血小板からなる物質が存在し、この血球が持つ抗原の違いをもとに分類される血液の種類を血液型と呼んでいる。

 

 

血液型の概念が発見されるまでには、紆余曲折があったようである。

 

 

血液が足りないから、羊の血液をヒトに輸血してみた

Credit: Wellcome Library, London
Credit: Wellcome Library, London / wellcome images

外科医にとって、血液は厄介な存在だったようだ。患者の腹を切り開けば、どっと血液があふれだし、患者は死にんだ。出血をコントロールすることが出来れば外科は劇的に進歩する。手足の切断の止血方法として、切断後の切り口に熱した鉄を押し当て、皮膚と筋肉と血管を癒着させる方法をとったが、そのときまでに患者は血液をかなり失っており、この止血方法は患者にとって当たり前だが苦痛だった。

 

 

失われた血液を補えれば、患者は死なずに済む。健康な人間と連結して片方のもう片方の患者のほうへ流せばいいのはあきらかだ。1680年、イギリスのフランシス・ポッターはその考えを実施した。動物の気管で作った柔軟なチューブの先に羽ペンを取り付け、ペン先を患者の血管に刺すことによって輸血を試みたが、失敗に終わった。

 

 

1666年、リチャード・ロファーが動物間の輸血に初めて成功した。その後動物間の輸血は公開実験が行なわれるようになった。

 

 

1667年、ジャン・バティスト・ドニは羊を使った動物の輸血実験を行なった。片方が「放蕩物」の人間で、名前はアーサー・コーガンという。羊の血液を輸血させられたコーガンは頭が少しおかしくなったが、生き延びることが出来た。

 

 

これらからわかるように血液型の発見は、医学の中でも重要な発見のひとつだ。

 

 

輸血をすれば患者の生存率は格段に上がるが、血液を闇雲に人間の体に輸血すればいいものではないことは17世紀にはわかっていた。19世紀になると再び輸血実験を試みるようになる。

 

 

羊ではだめだったので、ヒトの血液をヒトに輸血してみた

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イギリスの産科医であるブランデル医師は人間同士の輸血用の装置「グラヴィテーター」の解説書を発表した。彼は出産後の出血によって死亡する妊婦が多いことに悩んでおり、輸血によって失った血液を補う方法を考えたのだ。

 

 

ブランデル医師の考えた輸血装置「グラヴィテーター」は漏斗と注射器とチューブを使用しており、ドナーの切開された腕から出血する血液を漏斗で集め、集められた血液は垂直のチューブを通って患者の体内に入っていく仕組みだった。

 

 

ブランデル医師は(これは誤りだった)「(輸血が)致命的な結果をもたらした症例は一度も無かった」と主張した一方で、輸血は患者にとって、輸血をしないと助かる見込みが全く無い症例だけに限るべきだ。と賢明なアドバイスを残している。

 

 

ブランデル医師は瀕死の患者に対して輸血を続け、10人のうち6人死亡させた。要するに4人は救うことに成功した。

 

 

血液型を発見

ブランデル医師の功績は「ヒトの輸血にはヒトの血液を使用しなければならない」と言うものを証明したことと、「輸血にはまだ知らない危険が存在する」と言うこと知ったことである。まだ知らない危険と言うのは血液型の概念であろう。

 

 

ブランデル医師が活躍した時代の医学者達は血液型の概念を全く持っていなかったため、多くのヒトからヒトへの輸血実験が失敗に終わったのも、この血液型の概念が無かったからである。その考えを表す実験方法として、輸血用の血液を複数のヒトから採血し、まとめて患者に輸血を行なっていた。

 

 

血液型の発見したカール・ラントシュタイナーは輸血を受けた患者の死亡例が多いことを疑問に思っている人間の一人だった。

 

 

彼は同僚医師の血液と自分の血液を混ぜてみると、赤血球が固まる。血液凝固減少について調べてみようと思い立った。この現象が体内で起こると、致命的になるのではないかと気がついたのである。

 

 

二つの血液サンプルを混ぜても、二つとも同じ人間から採血したものなら凝固は絶対に起こらないことに気がついたラントシュタイナーは「血液の凝固は血液中の抗原に反応することによっておきる」と言う仮説を立てた。抗原とは体内の免疫系を刺激して抗体を作らせる物質のことである。 よって、血液は自分自身が持っている抗原には反応しない。だから、血液は抗原の異なる数種類のタイプが存在する。

 

 

ラントシュタイナーは自分を含め研究所にいた研究員の血液を集め、血液凝固を調べた。AとBの抗原を特定し、いろいろあって(割愛)四種類の血液グループの存在が想定された。これが後のABO式血液型になる。

 

 

その後Rh因子がアメリカで発見され、今日の血液型分類が誕生することになった。

 

 

血液型O型は万能血液型か?

血液型により何が異なるのかと言うのは現在証明されており、各血液型の違いは赤血球がそれぞれ異なる分子で表面を覆われていると言うもので、赤血球の表面には2層の分子膜があり、1層目はH抗原、2層目はA抗原になる。B型はA抗原がB抗原になり、AB型は両方持っており、O型は両方とも持っていない。すなわち、H抗原しかないのだ。

 

 

もし、血液型の異なる血液を輸血したのなら、体内の免疫系は輸血された血液に反応して攻撃を始める。しかし、O型はA抗原もB抗原も持っていない上に、H抗原はA型もB型も持っているので輸血しても安全だと言われている。

 

 

O型よりも万能。1万人の1人未満しかもっていない黄金の血

先にも言ったように、血液型はABO式血液型とRh因子で分類されたRh式血液型などあり主にこれらが、血液型の分類方法として一般的である。血液型には様々な分類方法があるが、その中には何百種類も存在する血液型の中でも非常に貴重な、1万人に1人の血液型が存在し、それは「黄金の血」と呼ばれていると言う。


 

 

黄金の血は「Rh ull」型と呼ばれている。なぜ黄金の血と呼ばれるかは、全ての血液に対して陰性であるから。


 

 

血液型を分類するのは抗原で、自分の血液型と異なる血液を輸血してしまうと、抗原が血液に反応し免疫システムが、拒絶反応を起こす。しかし、抗原を一切持たない血液、全ての血液に対して陰性の血液は非常に珍しく医学的にも貴重となる。


 

 

輸血が出来るまでに何世紀もかかったが、輸血をするような怪我や病気にはなりたくは無い。

参考元
Gigazine 人口の0.01%未満しか持っていないという「黄金の血」とは?
Gigazine 「なぜ血液型という分類が存在するの?」や「血液型ってそもそも何?」といった謎に迫る血液型に関するアレコレ
世にも奇妙な人体実験の歴史 トレヴァー・ノートン著/文藝春秋

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